山城と山麓の城下町、一乗谷の朝倉氏遺跡
福井が日本史の中で注目されだすのは戦国時代になってからと感じる人が多いでしょう。現在の福井市城戸ノ内町には、当時のこの地を治めていた朝倉氏の館跡が残されています。北陸自動車道を走っていると山間の地域で看板が見られますが、山城と山麓の城下町がありました。278ヘクタールもある敷地内には美しい日本庭園があって、地元の人達や観光客にとっての良い名勝となっています。
朝倉氏は越前国(えちぜんのくに)として現在の福井県嶺北地方を統治していた戦国大名で、その時代においては武家としての由緒ある家柄の1つに数えられます。天皇系の流れをくむ家柄として栄え、戦国時代には若狭や近江にも進攻して領地を拡大しています。しかし、織田信長との対立があり、戦いに敗れてしまいます。
一乗谷朝倉氏遺跡は全国でも珍しい城下町全体としての遺跡です。昭和40年代から続けられている発掘調査では学術的に評価が高い出土品も多く出ています。一帯を歴史的な資料として保存しつつ、県立の資料館ではさまざまな歴史資料を展示しています。あまり派手な印象のない福井市の歴史ですが、通の日本史好きにはいろいろと見どころのある場所です。
越前松平家の居城、福井城
福井市内にある福井城は織田信長配下の柴田勝家から主な歴史を刻んでいます。当時は北ノ庄城と呼ばれており、勝家が賤ヶ岳の戦いに敗れた際に、敵方によって放たれた火によってほとんど全てが焼け落ちました。その後に徳川家康の次男である結城秀康が入封されて、新しい城の建築を行います。秀康が松平家を名乗ることを許されると、その名にふさわしい城にするべくさらに充実した居城に整えられました。
福井城のあった場所には現在、県庁と県警本部、そして県会議事堂があります。周囲を堀に囲まれていて、さながら現代に蘇ったお城のようでもあります。残されている石垣の上には植樹がされていて、季節によっては城跡らしい風流な景色も楽しめます。
周辺には「歴史の道」として整備された一角があって、柴田勝家を祀っている柴田神社がそばにあります。県都である福井市の中心的な場所にあるため、それなりに街として栄えていますが、その中にも歴史を感じられる風景も残っています。江戸時代までは有力な大名家がおさめた土地柄なので、そのゆかりの場所などを探索してみるのがお奨めの観光コースです。